「鍼」と「針」
パソコンのJIS第一水準漢字にも「鍼」が含まれていることから、現在はこの難しい字が抵抗なく用いられるようになってきているが、常用漢字表には入っていないため、新聞などでは「はり治療」、「しん灸師」などの交ぜ書きが見られる。
本来「はり」を表す字は「辛」で、これは針をかたどった象形文字である。はりは治療に用いられるほか、何度も強く刺して拷問に用いたり、逃げないよ うに入れ墨を彫ったり、目をつぶすなどの責め具にもよく用いられたため、「つらい」の意味や、はりで刺したような「からさ」を表すようになり、本来のはり は、金属でできているためにかねへんがつけられ、ついでに字体が簡略化されて「針」になった。
「童」や「妾」の字の上についている「立」は、本来は辛で、 逃げないように針で入れ墨をして、奴隷や弄び者にした子供や女のことである。
一方の「鍼」は、金と咸(強い刺激、衝撃を与える)の会意文字で、こちらも責め具としてのはりの意味である。鍼と針は、もともと意味も読み方も全く同じ「異体字」である。それが次第に治療用の鍼に転用されるようになったと思われる。
なお、縫い針ができるのは、それよりさらにだいぶ経ってからである。
現在、日本鍼灸師会および全日本鍼灸マッサージ師会は公式文書にも「鍼」を使用している。なお、中国においては、治療用の鍼も「針」に統一された。ただし、かねへんも簡略化され、「针」である。
鍼とエビテンス
1979年に世界保健機関(WHO)が臨床経験に基づく適応疾患43疾患を発表したり、1997年にNIHの合意声明書において鍼治療は手術後の吐き気、妊娠時の悪阻、化学療法に伴う吐き気、抜歯後の疼痛、などに有効であることが示されたりした。
また、2003年にも、WHOが臨床試験に関するレポートを出している。しかしながら、WHOの発表に関しては質の低い臨床試験の結果が多数考慮されていることが指摘されており、1997年の NIHの声明書に関しては、その内容は古く、誤りが含まれていることが2010年現在は注記されている。
2000年には英国医師協会も鍼の有効性に関する合意声明を表明。しかしながら、この声明の前提となっている鍼の有効性を示すデータの扱いについては批判がある。
だが、日本の医学界においては2006年時点では、特に鍼に関する共通の声明などはなく、これら欧米の動きから徐々に鍼への注目が広がっている。
質の高い臨床試験の結果を系統的に評価した結果、鍼治療には小さな鎮痛効果が見られるがバイアスと区別することは出来ないとする研究結果が2009年に報告されている。
2010年現在、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の国立補完代替医療センター(NCAM)によると、大規模な臨床試験の結果、鍼治療は頭痛、偏頭痛、腰痛、上腕骨外上顆炎(テニス肘)については通常の医療と同等に効果がある(あるいは "同等に効果がない")可能性があるとしている。
なお、手根管症候群、線維筋痛症、生理痛、筋筋膜痛、頸部の痛み、変形性膝関節症、術後歯痛については有効性が認められないか、質の高い臨床試験が行われていないとされており、これらの疾患に対する鍼治療の適用は推奨されていない。
例えば膝などの関節に痛みがある場合に鍼治療を行い、療法師から膝に負担をかけないよう患者に対し指示し、それを実行した場合は症状がさらに改善する。
但しこれは自然治癒が原因によるもので鍼による治療は疾病に対する直接的な治療効果は全く無いか、殆ど無いのどちらかである。症状に改善が見られないか、痛みが増した場合は、できるだけ早い段階での通常医療への切り替えが望ましい。
刺激量(ドーゼ)
使用鍼:長く太い鍼は刺激が強く、短く細い鍼は刺激が弱い
運鍼の速度:刺入、抜去の速度が急であれば刺激が強く、緩であれば刺激が弱い
刺激時間:短時間の刺激よりも長時間の刺激のほうが強く、長時間の刺激よりも短時間の刺激のほうが弱い
手技:鍼の動揺の小さい手技よりも動揺の大きい手技のほうが刺激量は大きく、大きい手技よりも動揺の小さい手技のほうが刺激量は小さい
作用
鍼の作用には以下のような作用がみられると一般的には考えられている。鎮静作用 - 疼痛や痙攣のような異常に機能が亢進している疾患に対して行う。
刺激した場所の組織を活性化する。鍼の補法(足りない気を補う)で用いる興奮作用 - 知覚鈍麻、消失あるいは運動麻痺のような神経機能減弱、内臓諸器官の機能減退に対して興奮させる。
刺激した場所の組織を低下させる。鍼の瀉法(余分な気を抜く)で用いる
誘導作用 - 血管に影響を及ぼして充血を起こして患部の血流を調節する。 患部誘導法(患部誘導作用) - 患部に鍼を打つことで打った部位の血管を拡張させ患部に血液を集める 健部誘導法(健部誘導作用) - 健部に鍼を打つことで打った部位に炎症部などの集まった血液を健部に集める
反射作用 - 痛みや温度で刺激して、反射の機転を利用して治療を行う その他の作用 自律神経失調症、アレルギー体質などの体質改善で用いる。
消炎作用 - 白血球を増加させて患部に遊走させたり、リンパ系を賦活させることで病的な滲出物の吸収を促進 免疫作用 - 白血球を増加させて、免疫機能を高める
防衛作用 - 白血球を増加させたり、免疫系(網内系)を賦活させたりする
調整作用(整腸作用) - 組織、器官に一定の刺激を与え、その機能を回復させる。
鍼の種類
古代九鍼
- 破る(切開する)鍼 :鑱鍼(ざんしん)、鈹鍼(ひしん)、鋒鍼(ほうしん)
- 刺入する鍼 :毫鍼(ごうしん)、長鍼(ちょうしん)、員利(円利)鍼(いんりしん、えんりしん)、大鍼(だいしん)
- 刺入しない鍼 :鍉鍼(ていしん)、円(員)鍼(いんしん、えんしん)
鑱鍼
長さ一寸六分。鍼頭が大きく、鍼尖が鋭く、浅く刺して切りながら頭身の皮膚(皮膚の表面)にある遊走性の邪熱(陽気(熱))を瀉す。皮膚の白いところには用いてはならない。
鈹鍼
長さ四寸、廣二分半。劍にのっとり鍼尖が剣峰のようになっている。ようなどを切開して大膿を排除する。
鋒鍼(三稜鍼)
長さ一寸六分、鍼尖が矛のように鋭利で絮にのっとり、筒状から先が鋒で刃三隅なので三ツ目錐(三稜)と呼ばれる。頑固な痛み、しびれ、できもののあるとき、手足末端の経穴や局所の刺絡・瀉血に使う。
毫鍼
長さ一寸六分(三寸六分の説あり)。毫毛にのっとり、鍼尖がきわめて細く蚊や虻の喙(口先)のようになっていて、静かに刺入し、目的の深さに達し たら浅く長時間鍼を留め寒熱や痛痺(痛み、しびれ)をとる。
刺手で持つ鍼柄(竜頭)の部分と人体に刺入する鍼体の部分に分けることができる。また鍼体の鍼柄との境目を鍼根と呼び、鍼先を鍼尖(穂先)と呼ぶ。
長鍼
長さ七寸。鍼尖が矛のように鋭くオビヒモにのっとり、鋒は細く尖り身は薄い。深い慢性の邪や痹をとる。
円利(圓利)鍼
長さ一寸六分。牛の尾にのっとり、太さが馬の尾の毛ぐらいで丸く鋭く中程はやや太めで急激な痹(痛み、しびれ)に深く刺入して用いる。
大鍼
長さ四寸。鍼尖が棒のようで先が少し鈍で鋒にのっとり、杖のように先が少し丸い。関節に水がたまり腫れているところを瀉す。
鍉鍼
長さ三寸半。鍼尖(鋒)が粟・きびにのっとり、粟粒状になって少し尖っている。
皮膚に刺入することなく手足末端近くの経脈(穴所の脈)を按じて血気を補ったり、邪気を瀉したりする。按じる時は肌肉を強く抑えてはならない。
円(圓)鍼
長さ一寸六分。絮にのっとり、筒状で鍼尖(鋒)が卵のように丸く皮膚を抑えさすることにより分肉の間(浅いところにある肉の割れ目)にある邪気を瀉す。
肌肉を損傷することなく滞っている血気を流通させる。
日本で使われている鍼
- 毫鍼(通常、鍼と呼ばれるものはこれを指す)
- 鍉鍼
- 三稜鍼
- 接触鍼
- 小児鍼
- 円皮鍼
- 皮内鍼
- 粒鍼
- 灸頭鍼
- 電気鍼
その他の鍼
- 巨鍼、火鍼(燔鍼)、挫刺鍼
材質
- 金鍼
金を含んだ鍼。柔軟性・弾力性に富み、刺入時の刺痛が少ない。腐食しにく
い。しかしながら、高価であり耐久性に劣る。
- 銀鍼
銀を含んだ鍼。金鍼と同じく柔軟性・弾力性に富み、刺入時の刺痛が少ない。金鍼に比べると安価である。しかしながら、酸化しやすく、腐食しやすい。耐久性に劣る。
- ステンレス鍼
鉄にクロムやニッケルを混ぜてさびにくくした鍼。刺入しやすく折れにくいが刺痛が発生しやすい。腐食しにくい。安価である。しかしながら、他と比べ、柔軟性・弾力性に劣る(固い)。
安全面と安価な面でステンレスのディスポーザブル(使い捨て)鍼が多く使われている。またディスポーザブルでない場合もステンレス鍼が多く使われている。オートクレーブによる消毒の徹底が必要である。
長さと太さ
長さは尺貫法とメートル法の二つが使われており、太さは番と号の二つで決められている。例えば鍼体長40mm、鍼体経0.20mmφの鍼は古来の呼び名では(1)寸3(分)3番鍼と呼ばれる(括弧内は省略されることが多い)。主に日本でよく使われる長さと太さを以下に示す。
鍼体長(10mm〜150mmの17種類)
5分 | 8分 | 1寸 | 1寸3分 |
10mm | 20mm | 30mm | 40mm |
1寸6分 | 2寸 | 2寸5分 | 3寸 | 3寸5分 |
50mm | 60mm | 70mm | 90mm | 105mm |
鍼体経(10号〜50号の21種類)
0番鍼 | 02番鍼 | 01番鍼 | 1番鍼 | 2番鍼 |
10号鍼 | 12号鍼 | 14号鍼 | 16号鍼 | 18号鍼 |
0.10mmφ | 0.12mmφ | 0.14mmφ | 0.16mmφ | 0.18mmφ |
3番鍼 | 4番鍼 | 5番鍼 | 6番鍼 |
20号鍼 | 22号鍼 | 24号鍼 | 26号鍼 |
0.20mmφ | 0.22mmφ | 0.24mmφ | 0.26mmφ |
7番鍼 | 8番鍼 | 9番鍼 | 10番鍼 |
28号鍼 | 30号鍼 | 32号鍼 | 34号鍼 |
0.28mmφ | 0.30mmφ | 0.32mmφ | 0.34mmφ |
但し、中国鍼では太くなるにつれて号数は小さくなる。0.38mm(28号)〜0.28mm(32号)がよく使われる。
補瀉
鍼では気が少なかったり、余ったりすると気を補ったり、瀉したりすることで体を整える
手法と類別 | 補 | 瀉 | 備考 |
---|---|---|---|
子母 | その母を補う | その子を瀉す | 六十九難 |
寒熱 | 鍼を温めて用いると刺入した鍼下の部が熱する | 鍼をそのまま用いると刺入した鍼下の部が寒する | なし |
迎随 | 経絡の流注に随って(沿って)刺す | 経絡の流注に逆らって(迎えて)刺す | 経気の流注を促すと補、邪気を泄らすと瀉 |
徐疾、出内、遅速 | 徐々に刺痛なく(無痛)に刺入し置鍼してから徐々に抜鍼する | 痛みがあっても速刺速抜で疾く刺入し疾く抜鍼する | 「霊枢」九鍼十二原篇には徐刺疾抜で補、疾刺徐抜で瀉の記述がある |
呼吸 | 呼気時に刺し、吸気時に抜く | 吸気時に刺し、呼気時に抜く | 吸気には体実し、呼気には体虚する |
提按、開闔 | 経穴の上をよく按じて刺鍼し、抜鍼後は直ちに鍼孔部を閉じる | 抜鍼後も鍼孔部を閉じない | 穴を閉じて正気を漏らさない、開けて邪気を漏らす |
搖動 | 鍼を刺入し刺手を震わせて気を促し穴所を軽く弾き、刺入した鍼に軽く振動を与える | 鍼を刺入し押手を搖るがせて気を泄らせて穴所を弾くことなく、そのまま刺鍼する | なし |
用鍼 | 細い鍼を用いる | 太い鍼を用いる | なし |
深さ | 浅く入れて後に深くする | 深く入れて後に浅くする | 陰病には深く、陽病には浅くの指示がある |
搓転(左右) | 鍼を捻るのに患側の左側では右回転、右側では左回転 | 鍼を捻るのに患側の右側では右回転、左側では左回転 | なし |
刺法 | 陰病(虚証)の刺法 | 陽病(実証)の刺法 | なし |